浜田省吾
浜田省吾
シンガーソングライター、ロックミュージシャン。
デビュー時からサングラスがトレードマーク。メディア露出が極端に少ない地道なライブ活動によって確実にファンを獲得。デビュー後数年間は、方針により自らが目指す方向性を屈折させられ逡巡していた。その為、初期の頃は懐疑を投げかけた楽曲が多く存在する。バラード楽曲の他にも被爆体験から、戦争を歌った楽曲も数多く存在し、ビッグネームの中ではプロテスト色の強いアーティストである。ロック=英語という疑問を日本語による歌詞や歌唱にこだわった。ミュージシャンにも影響を与えた。
山口百恵、和田アキ子、能瀬慶子、甲斐よしひろ、松田優作、時任三郎、吉田栄作等に楽曲を提供している。
父はその後は地方警察署に勤務。
1945年8月6日、広島市への原爆投下直後に救援隊として広島市に入り二次被爆(入市被爆)した。ため、1955年頃から御調郡向島町岩子島、佐伯郡廿日市町宮内、佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区)、広島市元宇品(現南区元宇品)と広島県内で転校を繰り返す。
18歳までに20回近く引越しをした。江田島の海沿いの町、鷲部に転居。
この頃ラジオから流れるビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴く。洋楽はポップミュージックがショックを受ける。ギターを取り上げギター演奏を始める。 1965年、呉市天応に転居、呉市立二河中学に転校。
毎日ラジオに噛り付き洋楽を聴いた。
後はフォークソング・クラブ、新聞部に所属する他、学生運動にも積極的に参加。アメリカに加担しながら、この年広島平和記念式典に出席した佐藤栄作首相の行動が矛盾するとして起こった、激しい反対運動にも参加した。ミュージシャン活動に批判的だった。町支寛二らとバンドを結成、「広島フォーク村」にも参加した。大竹市に転居、広島市内の予備校、英数学館に通う。この頃はアメリカン・ニューシネマを見た。ビートルズの他、モータウン・サウンド、ボブ・ディラン、ザ・ビーチボーイズ、ラスカルズ、J・D・サリンジャーに傾倒、アメリカに強く憧れた。
時代で、大学はロックアウトされたり、ストライキで休校されることが多く、こんな大変な時に親からお金を送ってもらう意味が無いと感じる。
下宿を引き払う日、下宿前にあった大学構内で神奈川大学のセクトと他から来たセクトとの激しい内ゲバが発生。火炎瓶が飛び交い、学生達は傷ついてキャンパスに転がり、死傷者を出した暴動を朝まで見た。広島に戻り「広島フォーク村」の音楽仲間と共に愛奴を結成。愛奴ではドラムを担当。屋上やこの頃はテレビで演奏したりした。バック・バンドに愛奴(ドラム担当)として参加。
それまでドラム経験はほとんどなかったが、必死で練習してツアーに間に合わせた。シングル「シンシア」のB面「竜飛崎」は演奏である。 1975年に愛奴としてアルバム『愛奴』、シングル「二人の夏」でレコードデビュー。
当時CBSソニーでは大量にプロモーションを行い、浅田美代子の「赤い風船」(セールス80万枚)を上回る100万枚以上のセールスを見込んでというが、実際には売れず惨敗という結果であった。バンド内での自分の存在や、シンガーソングライターへの憧れもあり、同年9月に愛奴を脱退。全シングルA面は浜田が手掛けており、当時から素質を備えていた。 1976年4月21日にアルバム『生まれたところを遠く離れて』、シングル「路地裏の少年」でソロデビュー。
自身にとっては不本意ながら、予算の都合上、生ギター本のスタイルで全国ライブ巡業を開始。直後に前座を務めた。店頭はスーパーマーケットの催し、果ては流しのようにカウンターの中でも歌った。この頃全国巡業での観客は30人から多くて200人程度で、描いた夢にはほど遠かった。70年代はセールスに恵まれなかったものの、着実な楽曲制作と地道なライブ活動によって確実にファンを獲得していく。 1979年8月、日清カップヌードルのCMソングとして書いたシングル「風を感じて」がスマッシュ・ヒット(オリコン25位、10.2万枚)。
1980年、6thアルバム『HOME BOUND』リリース。
曲作りから、本格的ロックに音楽性が重要作。海外レコーディング作品で、ニッキー・ホプキンスやアメリカを代表する一流ミュージシャンが参加した。 1982年1月12日、日本武道館でコンサート。
1983年4月1日にホリプロダクションから独立し、音楽事務所「ロード&スカイ」を設立。
事務所名は浜田が敬愛するジャクソン・ブラウンの曲名「Road and the Sky」から付けられている。後に尾崎豊(所属は約1年程で個人事務所アイソトープを設立し独立)、三浦知良、スピッツ、などが所属することになる。 1983年8月13日には福岡・海の中道海浜公園でワンマン野外コンサート「A PLACE IN THE SUN」では25,000人を動員。
1985年7月27日‐28日つま恋多目的広場での吉田拓郎オールナイト・コンサート「ONE LAST NIGHT in つま恋」で愛奴が再結成され、「ひらひら」「野の仏」「シンシア」の3曲でドラムをたたく。
その際拓郎から浜田、前よりドラムうまくなったな2枚組アルバム『J.BOY』がオリコン・アルバムチャート第1位(5週連続)を獲得。
1988年8月20日の静岡県浜名湖・渚園での野外コンサート「A PLACE IN THE SUN」では52,000人を動員。
ロックから、曲作りへと移行する。この頃、そのアルバムの内容から引退が予想された。 1992年に主題歌として発売されたシングル「悲しみは雪のように」(1981年リリース曲のリメイク)が初のオリコン・シングルチャート第1位(8週連続、通算10週)を獲得。
200万枚近いセールスを記録。過去にリリースされたアルバムが多数チャートインするなど、空前の浜省ブームとなる。出てこなかった。 1993年、シングル「アヴェ・マリア/永遠の恋人」発表。
印税収益のすべてを治療・研究に寄付。 1995年、シングル「我が心のマリア」発表。
カップリングの「恋は魔法さ」は神戸を舞台にラブソングで、その年に発生した阪神・淡路大震災の復興を印税収入を寄付。このシングルは後輩であるスピッツや区麗情らとともに制作。50歳を祝って拓郎のデビュー曲イメージの詩をカヴァー。
拓郎自身もコーラスとアコースティック・ギターで参加している。CDとアナログ盤が同時発売された。 1998年には前代未聞のツアー「ON THE ROAD 2001」が構想でスタート。
アリーナ、そして野外コンサートがスケジューリングされたツアーが敢行された。このツアーでは127ヶ所196公演を数え60万人もの観衆を動員。
オリジナルアルバム7作にリマスタリングを施し再発。リミックス、「J.BOY」はリミックス、リアレンジメントが施されている。
2003年3月19日に本人を題材とゲームOVER THE MONOCHROME RAINBOW featuring SHOGO HAMADAが発売される。
春嵐、アレンジャーの水谷公生と結成したユニットFairlifeとして、シングル「永遠のともだち」、アルバム「Have a nice life」でデビュー。
ボーカリストに岡野昭仁や元プリンセスプリンセスの岸谷香らを迎えた。 2006年8月9日に2枚のベストアルバム、『The Best of Shogo Hamada Vol.1/Vol.2』をリリース。
『The History of Shogo Hamada "Since1975"』が3面紙ジャケット仕様(セルフライナーノート付き)で期間限定にて同時リリースした。 現在もツアーやレコーディング等、音楽活動を精力的に続けており、2006年は松戸を皮切りにON THE ROAD2006-2007をスタートさせている。
浜田省吾 エピソード
この節に内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。
このタグは2008年2月に貼付されました。広島カープファンで、ステージ上でカープの帽子、ユニフォームを羽織った。
日本武道館公演が決まった時、ため、プレッシャーで押しつぶされそうになった。
結果はチケットが15分で完売するなど、大成功を収めた(※ゲス・フーとは「アメリカンウーマン」の大ヒット曲を持つカナダのバンドで、有名なザ・フーとは違う)。 この時にアンコールで演奏した「ラストダンス」を近年行われたツアー「ON THE ROAD 2001」の最終日に武道館で演奏。
事と、演出で演奏された為多くのファンは感極まった。同ツアーを追ったDVDにも収録されている。武道館でのアンコール曲「Midnight Blue Train」では、歌い出してすぐにギターが足元に落ちるというハプニングがあった。
「ギター抱えて 夜汽車に揺られ」という箇所で、浜田は外れたギターを胸に抱えて歌った。烏丸せつこのラジオ番組NHK「サウンドストリート」で、このことが話題になり、ストラップがきちんと留まっていなかったようだ、と原因を語り、「歌詞の内容と合っていたから演出かと思った」という烏丸に対し「まさか(笑)」と答えていた。このギターが床に落ちた音は、LIVE盤『ON THE ROAD』で聴ける。 烏丸はビートたけしが最初に噂になった女優で、甲斐よしひろとも噂があったが、浜田と烏丸もけっこう親しくしており、女性週刊誌でも地味に話題になったりもした。
烏丸のアルバム『キス・ミー』(1981年)に浜田は「Dancing Doll」「バラード」の2曲を提供している。アルバムでは「街角の天使」をデュエットするという話もあったが実現されてはいない。 「街角の天使」はデュエット曲として録音されたが、結局そのテイクは没になり、浜田のボーカルのみのテイクがアルバムに収録された。
由縁は好きなミュージシャン、ボブ・ディラン、スティービー・ワンダー、ジョン・レノンがみんなサングラスをかけてたから真似してかけたというのもあるが、本人曰くドラムは目立たないから何とかして自分を売り込もうとした苦肉の策であったらしい。
頃、ギターを持ってタクシーに乗った時「ミュージシャンなの?」と運転手に聞かれて、「はい、実は浜田省吾っていいます」と答えると運転手は「あぁ知っているよ。サングラスしていたから分からなかった」と答えたらしい(浜田はこの手の話をライブで披露するが、相手が警備員のパターンもあり、この話を浜田のネタと捉えるファンも多い)。
話はもちろん、野球ネタや映画ネタ、そして当時のバンドの生ライブなどで人気となった。ニッポン放送で吉田栄作が浜田の大ファンだった経緯もあって、当時吉田本人が持っていたラジオ番組「吉田栄作Take Off」に出演したこともある。 テレビには殆どいが、1979年「風を感じて」が、日清カップヌードルのCMソングにスマッシュヒット。
通路で歌った事もといわれている。明石家さんまなど芸人との絡みは無かったと思われる。事をのちのインタビューで述べている。一回と何度も丸一日、ワンハーフ(1番とサビ一つの2分くらい)2分を歌うための拘束時間は10時間ぐらいだったという。結局『ヤングおー!おー!』に3回、『夜のヒットスタジオ』に2回、計5回のテレビ出演がある。女性アーティストも、早いうちから曲作りを始めることが話題となるが、浜田が本格的に曲作りを始めたのは、20歳の頃である。
作詞を浜田が手掛け、作曲は町支がしていて、自分に曲が作れるという発想があまりなかった。日、大学の正門の前にあった下宿で、好きだったザ・ビーチ・ボーイズの『サーファー・ガール』に影響をうけ『二人の夏』を作り、町支らに聞かせるとブリティッシュロックしか聴いたことのない彼らは、初めて聴くウエストコースト風のサウンドに「いいよ、これはいいよ」と絶賛されその気になった。あの時町支らがけなしていたら曲作りは止めて知れないと言う。ドラムをたたいているのも浜田だが、貧乏の極みでドラマーなのにレンタルドラムでレコーディングに挑んだ。
歌は自分で歌おうとヘッドホンを歌を聞くと音痴だと気付いた。シングルやアルバムに対して、あまり良い印象がないことを隠そうとしない。
下積み時代、小さな街で300人ぐらいを集めてのライヴに全精力を使い果たしてホテルに帰ってテレビを付けると「ザ・ベストテン」がやっていて、から人達が、何10万枚とレコードを売って歌う姿を見る。
テレビという主流・メインカルチャーに対して、「ライヴはカウンターカルチャーだっと思う。テレビからこぼれ落ちた大切なものを僕達はていねいにすくって、大切に育ててきた」という自負をインタビューで述べている。
このとき議論が白熱し浜田が激怒し「結局なんでしょ、あんたたちゃぁ、人の作ったものにケチつけてメシ食ってるんでしょうが!」と面と向かって毒づいたことがある。その後、渋谷は発刊するロック誌で浜田の特集を組むなど、長きに渡り浜省を支援し続けている。アーティストと述べている。桜井和寿ら浜田に影響を受けたと言う後輩アーティストに会う時は、暖かいアドバイスを贈っている。
アルバムタイトルは、のちの「J-POP」、「Jリーグ」という言葉を誘発したとされる(これには異説もあり、日本又は日本のものを「J」とする方法は古くからある→バトルフィーバーJなど)。
チャート1位に輝いた「J.BOY」まで、プロデビューから歳月が流れていた。メンバーとスタッフをANA61便がハイジャックに遭遇。
話をすることで知られる。
ミュージアムである電気館だった。 コンサートでは開催地の感想を語る。
広島では、転勤に伴い引っ越しが多かった話をすると、必ず「僕が昔住んでいた元宇品の家は、今、立派なホテルになっています」とオチがつく。ネタにする。
後日、新聞に(あの一言は撤回します。素晴らしいコンサートでした。)と記事が掲載される。
歌詞の一部(都市名)をコンサート開催地に変えて歌う(例、Hello 大阪 City~など)。
黒磯でのコンサート中、開始二曲目で「脹脛断裂
コンサートをやり遂げた。この事はワイドショーでもニュースになったほどである。
浜田省吾 ディスコグラフィー
浜田省吾 アナログシングル
愛奴時代 1975年5月1日 二人の夏(b/w雨模様) EP 愛奴時代 1975年9月1日 恋の西武新宿線(b/w愛奴のテーマ) EP 1st 1976年4月21日 路地裏の少年(EP用)(b/w壁にむかって(EP用)) EP 2nd 1976年10月21日 愛のかけひき(シングルバージョン)(b/wキャンパスの冬) EP 3rd 1977年4月21日 ラブ・トレイン(b/w君に会うまでは) EP 4th 1977年11月21日 木枯しの季節(b/w独りぼっちのハイウェイ) EP 5th 1978年8月21日 涙あふれて(b/wあの頃の僕) EP 6th 1979年4月21日 愛を眠らせて(b/w片想い) EP 7th 1979年8月21日 風を感じて(b/w朝のシルエット) EP 8th 1979年12月21日 さよならにくちづけ(b/wミス・ロンリー・ハート) EP 9th 1980年2月21日 青春のヴィジョン(b/wとぎれた愛の物語) EP 10th 1980年7月21日 明日 11th 1980年10月21日 東京(b/w火薬のように) EP 12th 1981年3月21日 陽のあたる場所(b/wあばずれセブンティーン) EP 13th 1981年8月26日 ラストショー(b/wさよならの前に) EP 14th 1981年11月21日 悲しみは雪のように(b/wセンチメンタルクリスマス) EP 15th 1982年2月25日 ON THE ROAD(b/wラスト・ダンス(ライブバージョン)) EP 16th 1982年11月21日 マイホームタウン(b/w恋に落ちたら) EP 17th 1984年8月1日 DANCE(12インチシングルヴァージョン)(b/wTHE LITTLE ROCKER'S MEDLEY(ライブバージョン)) 12inch 18th 1985年5月22日 LONELY-愛という約束事(シングルヴァージョン)(b/wもうひとつの土曜日(シングルヴァージョン)) EP 19th 1985年12月8日 BIG BOY BLUES(シングルヴァージョン)(b/wSWEET LITTLE DARLIN'(シングルヴァージョン)) EP 20th 1986年7月16日 路地裏の少年(12インチシングルヴァージョン)(b/w晩夏の鐘(12インチシングルヴァージョン)/WALKING IN THE RAIN) 12inch CT 21st 1987年6月21日 二人の夏(b/wLITTLE SURFER GIRL) EP 22nd 1988年5月29日 BREATHLESS LOVE(c/wBLOOD LINE(シングルヴァージョン)) 12inch CT 23rd 1992年2月1日 悲しみは 24th 1997年10月22日 イメージの詩(c/w生まれたところを遠く離れて(シングルヴァージョン)) EP
浜田省吾 CDシングル・マキシシングル
1st 1988年5月29日 BREATHLESS LOVE(c/wBLOOD LINE(シングルヴァージョン)) 2nd 1989年3月21日 路地裏の少年(1stシングルヴァージョン)(c/w愛のかけひき(シングルヴァージョン)) 3rd 1989年3月21日 木枯しの季節(c/w涙あふれて) 4th 1989年3月21日 明日なき世代(シングルヴァージョン)(c/w 東京) 5th 1989年3月21日 ラストショー(Original Album Version)(c/wON THE ROAD) 6th 1989年3月21日 マイホームタウン(c/w陽のあたる場所(Original Album Version)) 7th 1989年3月21日 LONELY-愛という約束事(シングルヴァージョン)(b/wもうひとつの土曜日(シングルヴァージョン)) 8th 1989年3月21日 BIG BOY BLUES (シングルヴァージョン)(c/wDANCE(12インチシングルヴァージョン) 9th 1991年6月8日 J.BOY(LIVE IN "ON THE ROAD '90"駒沢大学記念講堂)(c/w WALKING IN THE RAIN)
10th 1991年6月8日 二人の夏(浜田省吾ヴァージョン)(c/w二人の夏(愛奴ヴァージョン))
11th 1991年6月8日 HELLO ROCK&ROLL CITY(ライブバージョン)(c/w THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY(ライブバージョン)
12th 1991年6月8日 風を感じて(ライブバージョン)(c/wラスト・ダンス(ライブバージョン))
13th 1992年2月1日 悲しみは雪のように(シングルヴァージョン)(c/w愛という名のもとに(シングルヴァージョン))
14th 1992年12月12日 アヴェ・マリア(c/w永遠の恋人(シングルヴァージョン))
15th 1994年4月25日 星の指輪(c/wこんな気持のまま)
16th 1995年7月1日 我が心のマリア(c/w恋は魔法さ(シングルヴァージョン))
17th 1996年9月30日 さよならゲーム(c/wあれから二人)
18th 1997年10月22日 イメージの詩(c/w生まれたところを遠く離れて(シングルヴァージョン))
19th 1998年4月1日 モノクロームの虹(c/w 青空)
20th 1998年10月1日 LOVE HAS NO PRIDE(c/w GIVE ME ONE MORE CHANCE)
21st 1998年12月2日 詩人の鐘(c/w 日はまた昇る)
22nd 2000年4月1日 …to be "Kissin'you"(french edit)(c/w 真夏の路上/…to be "kissin' you")
23rd 2001年8月1日 君の名を呼ぶ(c/w演奏旅行)
24th 2003年9月10日 君に捧げるlove song(c/wモダンガール(21 ctr. Ver.))
25th 2005年4月13日 光と影の季節(c/w Midnight Blue Train 2005(リメイク2005バージョン))
26th 2005年7月17日 I am a father(c/w 君と歩いた道)
27th 2005年10月12日 THANK YOU(c/w あの娘は誰/さよならの前に(2005Ver.))
2005年3月24日1st~18thシングルまでをマキシシングルにリサイズして再発売
浜田省吾 アルバム
(愛奴時代) 1975年5月1日 愛奴 LP CT
1st 1976年4月21日 生まれたところを遠く離れて LP CT
2nd 1977年5月21日 LOVE TRAIN LP CT
3rd 1978年9月21日 Illumination LP CT
4th 1979年5月21日 MIND SCREEN LP CT
5th 1979年12月5日 君が人生の時… LP CT
Compilation 1980年8月1日 SLOW DOWN(現在は廃盤) CT MD
6th 1980年10月21日 Home Bound LP CT
7th 1981年9月21日 愛の世代の前に LP CT
8th 1982年2月25日 ON THE ROAD LP(2枚組) CT(2本組)
9th 1982年11月21日 PROMISED LAND 〜約束の地 LP CD CT
10th 1983年12月1日 Sand Castle LP CD CT
11th 1984年10月21日 DOWN BY THE MAINSTREET LP CD CT
CLUB SNOWBOUND(現在は廃盤) LP CT
12th 1986年9月4日 J.BOY LP(2枚組) CD(2枚組) CT(2枚組)
CLUB SURFBOUND(現在は廃盤) LP CT
13th 1987年6月28日 CLUB SURF&SNOWBOUND CD
14th 1988年3月16日 FATHER'S SON LP CD CT
15th 1989年9月1日 Wasted Tears LP CD CT
16th 1990年6月21日 誰がために鐘は鳴る CD CT
17th 1991年9月1日 EDGE OF THE KNIFE CD CT
18th 1993年9月6日 その永遠の一秒に 〜The moment of the moment〜 CD CT MD
19th 1996年2月29日 ROAD OUT "TRACKS" CD MD
20th 1996年11月11日 青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜 CD MD
21st 1997年1月22日 初夏の頃 〜IN EARLY SUMMER〜 LP CD MD
22nd 2000年11月8日 The History of Shogo Hamada "Since1975" CD
23rd 2001年8月22日 SAVE OUR SHIP CD
24th 2003年9月26日 初秋 CD
25th 2005年7月6日 My First Love LP CD
26th 2006年8月9日 The Best of Shogo Hamada vol.1 CD
27th 2006年8月9日 The Best of Shogo Hamada vol.2 CD
浜田省吾 映像作品
1989年5月21日 ON THE ROAD "FILMS" (VHS/LD)(後にDVDで再発売)
1996年2月29日 ROAD OUT "MOVIE" (VHS/LD)(後にDVDで再発売) 2002年7月31日 ON THE ROAD 2001 (DVD)
2002年8月21日 WE ARE STILL ON THE ROAD (DVD)
2005年8月31日 SHOGO HAMADA Visual Collection "FLASH&SHADOW" (DVD)
2008年4月2日 ON THE ROAD 2005-2007 "My First Love"(DVD)
浜田省吾 コンサート数
1976年 15回
1977年 50回
1978年 53回
1979年 70回
1980年 96回
1981年 88回
1982年 122回
1983年 119回
1984年 87回
1985年 76回
1986年 64回
1987年 38回
1988年 90回
1989年 10回
1990年 55回
1991年 54回
1993年 37回
1994年 58回
1995年 3回
1996年 16回
1997年 13回
1998年 52回
1999年 61回
2000年 48回
2001年 35回
2002年 2回
2005年 26回
2006年 28回
2007年 55回
合計 1521回
浜田省吾 ツアータイトル
1986年 「I'm a J.BOY」 1988年 「FATHER'S SON」 1991年 「ONE AND ONLY」 1993年 「OCEAN AVENUE 7493」 1994年 「THE MOMENT OF THE MOMENT」 1996年 「Tender is the night」 1998 - 2001年 「THE MONOCHROME RAINBOW」「THE SHOGO MUST GO ON」 2005年 「MY FIRST LOVE」 2006年 - 2007年 「MY FIRST LOVE IS ROCK'N'ROLL
シンガーソングライター、ロックミュージシャン。
デビュー時からサングラスがトレードマーク。メディア露出が極端に少ない地道なライブ活動によって確実にファンを獲得。デビュー後数年間は、方針により自らが目指す方向性を屈折させられ逡巡していた。その為、初期の頃は懐疑を投げかけた楽曲が多く存在する。バラード楽曲の他にも被爆体験から、戦争を歌った楽曲も数多く存在し、ビッグネームの中ではプロテスト色の強いアーティストである。ロック=英語という疑問を日本語による歌詞や歌唱にこだわった。ミュージシャンにも影響を与えた。
山口百恵、和田アキ子、能瀬慶子、甲斐よしひろ、松田優作、時任三郎、吉田栄作等に楽曲を提供している。
父はその後は地方警察署に勤務。
1945年8月6日、広島市への原爆投下直後に救援隊として広島市に入り二次被爆(入市被爆)した。ため、1955年頃から御調郡向島町岩子島、佐伯郡廿日市町宮内、佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区)、広島市元宇品(現南区元宇品)と広島県内で転校を繰り返す。
18歳までに20回近く引越しをした。江田島の海沿いの町、鷲部に転居。
この頃ラジオから流れるビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴く。洋楽はポップミュージックがショックを受ける。ギターを取り上げギター演奏を始める。 1965年、呉市天応に転居、呉市立二河中学に転校。
毎日ラジオに噛り付き洋楽を聴いた。
後はフォークソング・クラブ、新聞部に所属する他、学生運動にも積極的に参加。アメリカに加担しながら、この年広島平和記念式典に出席した佐藤栄作首相の行動が矛盾するとして起こった、激しい反対運動にも参加した。ミュージシャン活動に批判的だった。町支寛二らとバンドを結成、「広島フォーク村」にも参加した。大竹市に転居、広島市内の予備校、英数学館に通う。この頃はアメリカン・ニューシネマを見た。ビートルズの他、モータウン・サウンド、ボブ・ディラン、ザ・ビーチボーイズ、ラスカルズ、J・D・サリンジャーに傾倒、アメリカに強く憧れた。
時代で、大学はロックアウトされたり、ストライキで休校されることが多く、こんな大変な時に親からお金を送ってもらう意味が無いと感じる。
下宿を引き払う日、下宿前にあった大学構内で神奈川大学のセクトと他から来たセクトとの激しい内ゲバが発生。火炎瓶が飛び交い、学生達は傷ついてキャンパスに転がり、死傷者を出した暴動を朝まで見た。広島に戻り「広島フォーク村」の音楽仲間と共に愛奴を結成。愛奴ではドラムを担当。屋上やこの頃はテレビで演奏したりした。バック・バンドに愛奴(ドラム担当)として参加。
それまでドラム経験はほとんどなかったが、必死で練習してツアーに間に合わせた。シングル「シンシア」のB面「竜飛崎」は演奏である。 1975年に愛奴としてアルバム『愛奴』、シングル「二人の夏」でレコードデビュー。
当時CBSソニーでは大量にプロモーションを行い、浅田美代子の「赤い風船」(セールス80万枚)を上回る100万枚以上のセールスを見込んでというが、実際には売れず惨敗という結果であった。バンド内での自分の存在や、シンガーソングライターへの憧れもあり、同年9月に愛奴を脱退。全シングルA面は浜田が手掛けており、当時から素質を備えていた。 1976年4月21日にアルバム『生まれたところを遠く離れて』、シングル「路地裏の少年」でソロデビュー。
自身にとっては不本意ながら、予算の都合上、生ギター本のスタイルで全国ライブ巡業を開始。直後に前座を務めた。店頭はスーパーマーケットの催し、果ては流しのようにカウンターの中でも歌った。この頃全国巡業での観客は30人から多くて200人程度で、描いた夢にはほど遠かった。70年代はセールスに恵まれなかったものの、着実な楽曲制作と地道なライブ活動によって確実にファンを獲得していく。 1979年8月、日清カップヌードルのCMソングとして書いたシングル「風を感じて」がスマッシュ・ヒット(オリコン25位、10.2万枚)。
1980年、6thアルバム『HOME BOUND』リリース。
曲作りから、本格的ロックに音楽性が重要作。海外レコーディング作品で、ニッキー・ホプキンスやアメリカを代表する一流ミュージシャンが参加した。 1982年1月12日、日本武道館でコンサート。
1983年4月1日にホリプロダクションから独立し、音楽事務所「ロード&スカイ」を設立。
事務所名は浜田が敬愛するジャクソン・ブラウンの曲名「Road and the Sky」から付けられている。後に尾崎豊(所属は約1年程で個人事務所アイソトープを設立し独立)、三浦知良、スピッツ、などが所属することになる。 1983年8月13日には福岡・海の中道海浜公園でワンマン野外コンサート「A PLACE IN THE SUN」では25,000人を動員。
1985年7月27日‐28日つま恋多目的広場での吉田拓郎オールナイト・コンサート「ONE LAST NIGHT in つま恋」で愛奴が再結成され、「ひらひら」「野の仏」「シンシア」の3曲でドラムをたたく。
その際拓郎から浜田、前よりドラムうまくなったな2枚組アルバム『J.BOY』がオリコン・アルバムチャート第1位(5週連続)を獲得。
1988年8月20日の静岡県浜名湖・渚園での野外コンサート「A PLACE IN THE SUN」では52,000人を動員。
ロックから、曲作りへと移行する。この頃、そのアルバムの内容から引退が予想された。 1992年に主題歌として発売されたシングル「悲しみは雪のように」(1981年リリース曲のリメイク)が初のオリコン・シングルチャート第1位(8週連続、通算10週)を獲得。
200万枚近いセールスを記録。過去にリリースされたアルバムが多数チャートインするなど、空前の浜省ブームとなる。出てこなかった。 1993年、シングル「アヴェ・マリア/永遠の恋人」発表。
印税収益のすべてを治療・研究に寄付。 1995年、シングル「我が心のマリア」発表。
カップリングの「恋は魔法さ」は神戸を舞台にラブソングで、その年に発生した阪神・淡路大震災の復興を印税収入を寄付。このシングルは後輩であるスピッツや区麗情らとともに制作。50歳を祝って拓郎のデビュー曲イメージの詩をカヴァー。
拓郎自身もコーラスとアコースティック・ギターで参加している。CDとアナログ盤が同時発売された。 1998年には前代未聞のツアー「ON THE ROAD 2001」が構想でスタート。
アリーナ、そして野外コンサートがスケジューリングされたツアーが敢行された。このツアーでは127ヶ所196公演を数え60万人もの観衆を動員。
オリジナルアルバム7作にリマスタリングを施し再発。リミックス、「J.BOY」はリミックス、リアレンジメントが施されている。
2003年3月19日に本人を題材とゲームOVER THE MONOCHROME RAINBOW featuring SHOGO HAMADAが発売される。
春嵐、アレンジャーの水谷公生と結成したユニットFairlifeとして、シングル「永遠のともだち」、アルバム「Have a nice life」でデビュー。
ボーカリストに岡野昭仁や元プリンセスプリンセスの岸谷香らを迎えた。 2006年8月9日に2枚のベストアルバム、『The Best of Shogo Hamada Vol.1/Vol.2』をリリース。
『The History of Shogo Hamada "Since1975"』が3面紙ジャケット仕様(セルフライナーノート付き)で期間限定にて同時リリースした。 現在もツアーやレコーディング等、音楽活動を精力的に続けており、2006年は松戸を皮切りにON THE ROAD2006-2007をスタートさせている。
浜田省吾 エピソード
この節に内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。
このタグは2008年2月に貼付されました。広島カープファンで、ステージ上でカープの帽子、ユニフォームを羽織った。
日本武道館公演が決まった時、ため、プレッシャーで押しつぶされそうになった。
結果はチケットが15分で完売するなど、大成功を収めた(※ゲス・フーとは「アメリカンウーマン」の大ヒット曲を持つカナダのバンドで、有名なザ・フーとは違う)。 この時にアンコールで演奏した「ラストダンス」を近年行われたツアー「ON THE ROAD 2001」の最終日に武道館で演奏。
事と、演出で演奏された為多くのファンは感極まった。同ツアーを追ったDVDにも収録されている。武道館でのアンコール曲「Midnight Blue Train」では、歌い出してすぐにギターが足元に落ちるというハプニングがあった。
「ギター抱えて 夜汽車に揺られ」という箇所で、浜田は外れたギターを胸に抱えて歌った。烏丸せつこのラジオ番組NHK「サウンドストリート」で、このことが話題になり、ストラップがきちんと留まっていなかったようだ、と原因を語り、「歌詞の内容と合っていたから演出かと思った」という烏丸に対し「まさか(笑)」と答えていた。このギターが床に落ちた音は、LIVE盤『ON THE ROAD』で聴ける。 烏丸はビートたけしが最初に噂になった女優で、甲斐よしひろとも噂があったが、浜田と烏丸もけっこう親しくしており、女性週刊誌でも地味に話題になったりもした。
烏丸のアルバム『キス・ミー』(1981年)に浜田は「Dancing Doll」「バラード」の2曲を提供している。アルバムでは「街角の天使」をデュエットするという話もあったが実現されてはいない。 「街角の天使」はデュエット曲として録音されたが、結局そのテイクは没になり、浜田のボーカルのみのテイクがアルバムに収録された。
由縁は好きなミュージシャン、ボブ・ディラン、スティービー・ワンダー、ジョン・レノンがみんなサングラスをかけてたから真似してかけたというのもあるが、本人曰くドラムは目立たないから何とかして自分を売り込もうとした苦肉の策であったらしい。
頃、ギターを持ってタクシーに乗った時「ミュージシャンなの?」と運転手に聞かれて、「はい、実は浜田省吾っていいます」と答えると運転手は「あぁ知っているよ。サングラスしていたから分からなかった」と答えたらしい(浜田はこの手の話をライブで披露するが、相手が警備員のパターンもあり、この話を浜田のネタと捉えるファンも多い)。
話はもちろん、野球ネタや映画ネタ、そして当時のバンドの生ライブなどで人気となった。ニッポン放送で吉田栄作が浜田の大ファンだった経緯もあって、当時吉田本人が持っていたラジオ番組「吉田栄作Take Off」に出演したこともある。 テレビには殆どいが、1979年「風を感じて」が、日清カップヌードルのCMソングにスマッシュヒット。
通路で歌った事もといわれている。明石家さんまなど芸人との絡みは無かったと思われる。事をのちのインタビューで述べている。一回と何度も丸一日、ワンハーフ(1番とサビ一つの2分くらい)2分を歌うための拘束時間は10時間ぐらいだったという。結局『ヤングおー!おー!』に3回、『夜のヒットスタジオ』に2回、計5回のテレビ出演がある。女性アーティストも、早いうちから曲作りを始めることが話題となるが、浜田が本格的に曲作りを始めたのは、20歳の頃である。
作詞を浜田が手掛け、作曲は町支がしていて、自分に曲が作れるという発想があまりなかった。日、大学の正門の前にあった下宿で、好きだったザ・ビーチ・ボーイズの『サーファー・ガール』に影響をうけ『二人の夏』を作り、町支らに聞かせるとブリティッシュロックしか聴いたことのない彼らは、初めて聴くウエストコースト風のサウンドに「いいよ、これはいいよ」と絶賛されその気になった。あの時町支らがけなしていたら曲作りは止めて知れないと言う。ドラムをたたいているのも浜田だが、貧乏の極みでドラマーなのにレンタルドラムでレコーディングに挑んだ。
歌は自分で歌おうとヘッドホンを歌を聞くと音痴だと気付いた。シングルやアルバムに対して、あまり良い印象がないことを隠そうとしない。
下積み時代、小さな街で300人ぐらいを集めてのライヴに全精力を使い果たしてホテルに帰ってテレビを付けると「ザ・ベストテン」がやっていて、から人達が、何10万枚とレコードを売って歌う姿を見る。
テレビという主流・メインカルチャーに対して、「ライヴはカウンターカルチャーだっと思う。テレビからこぼれ落ちた大切なものを僕達はていねいにすくって、大切に育ててきた」という自負をインタビューで述べている。
このとき議論が白熱し浜田が激怒し「結局なんでしょ、あんたたちゃぁ、人の作ったものにケチつけてメシ食ってるんでしょうが!」と面と向かって毒づいたことがある。その後、渋谷は発刊するロック誌で浜田の特集を組むなど、長きに渡り浜省を支援し続けている。アーティストと述べている。桜井和寿ら浜田に影響を受けたと言う後輩アーティストに会う時は、暖かいアドバイスを贈っている。
アルバムタイトルは、のちの「J-POP」、「Jリーグ」という言葉を誘発したとされる(これには異説もあり、日本又は日本のものを「J」とする方法は古くからある→バトルフィーバーJなど)。
チャート1位に輝いた「J.BOY」まで、プロデビューから歳月が流れていた。メンバーとスタッフをANA61便がハイジャックに遭遇。
話をすることで知られる。
ミュージアムである電気館だった。 コンサートでは開催地の感想を語る。
広島では、転勤に伴い引っ越しが多かった話をすると、必ず「僕が昔住んでいた元宇品の家は、今、立派なホテルになっています」とオチがつく。ネタにする。
後日、新聞に(あの一言は撤回します。素晴らしいコンサートでした。)と記事が掲載される。
歌詞の一部(都市名)をコンサート開催地に変えて歌う(例、Hello 大阪 City~など)。
黒磯でのコンサート中、開始二曲目で「脹脛断裂
コンサートをやり遂げた。この事はワイドショーでもニュースになったほどである。
浜田省吾 ディスコグラフィー
浜田省吾 アナログシングル
愛奴時代 1975年5月1日 二人の夏(b/w雨模様) EP 愛奴時代 1975年9月1日 恋の西武新宿線(b/w愛奴のテーマ) EP 1st 1976年4月21日 路地裏の少年(EP用)(b/w壁にむかって(EP用)) EP 2nd 1976年10月21日 愛のかけひき(シングルバージョン)(b/wキャンパスの冬) EP 3rd 1977年4月21日 ラブ・トレイン(b/w君に会うまでは) EP 4th 1977年11月21日 木枯しの季節(b/w独りぼっちのハイウェイ) EP 5th 1978年8月21日 涙あふれて(b/wあの頃の僕) EP 6th 1979年4月21日 愛を眠らせて(b/w片想い) EP 7th 1979年8月21日 風を感じて(b/w朝のシルエット) EP 8th 1979年12月21日 さよならにくちづけ(b/wミス・ロンリー・ハート) EP 9th 1980年2月21日 青春のヴィジョン(b/wとぎれた愛の物語) EP 10th 1980年7月21日 明日 11th 1980年10月21日 東京(b/w火薬のように) EP 12th 1981年3月21日 陽のあたる場所(b/wあばずれセブンティーン) EP 13th 1981年8月26日 ラストショー(b/wさよならの前に) EP 14th 1981年11月21日 悲しみは雪のように(b/wセンチメンタルクリスマス) EP 15th 1982年2月25日 ON THE ROAD(b/wラスト・ダンス(ライブバージョン)) EP 16th 1982年11月21日 マイホームタウン(b/w恋に落ちたら) EP 17th 1984年8月1日 DANCE(12インチシングルヴァージョン)(b/wTHE LITTLE ROCKER'S MEDLEY(ライブバージョン)) 12inch 18th 1985年5月22日 LONELY-愛という約束事(シングルヴァージョン)(b/wもうひとつの土曜日(シングルヴァージョン)) EP 19th 1985年12月8日 BIG BOY BLUES(シングルヴァージョン)(b/wSWEET LITTLE DARLIN'(シングルヴァージョン)) EP 20th 1986年7月16日 路地裏の少年(12インチシングルヴァージョン)(b/w晩夏の鐘(12インチシングルヴァージョン)/WALKING IN THE RAIN) 12inch CT 21st 1987年6月21日 二人の夏(b/wLITTLE SURFER GIRL) EP 22nd 1988年5月29日 BREATHLESS LOVE(c/wBLOOD LINE(シングルヴァージョン)) 12inch CT 23rd 1992年2月1日 悲しみは 24th 1997年10月22日 イメージの詩(c/w生まれたところを遠く離れて(シングルヴァージョン)) EP
浜田省吾 CDシングル・マキシシングル
1st 1988年5月29日 BREATHLESS LOVE(c/wBLOOD LINE(シングルヴァージョン)) 2nd 1989年3月21日 路地裏の少年(1stシングルヴァージョン)(c/w愛のかけひき(シングルヴァージョン)) 3rd 1989年3月21日 木枯しの季節(c/w涙あふれて) 4th 1989年3月21日 明日なき世代(シングルヴァージョン)(c/w 東京) 5th 1989年3月21日 ラストショー(Original Album Version)(c/wON THE ROAD) 6th 1989年3月21日 マイホームタウン(c/w陽のあたる場所(Original Album Version)) 7th 1989年3月21日 LONELY-愛という約束事(シングルヴァージョン)(b/wもうひとつの土曜日(シングルヴァージョン)) 8th 1989年3月21日 BIG BOY BLUES (シングルヴァージョン)(c/wDANCE(12インチシングルヴァージョン) 9th 1991年6月8日 J.BOY(LIVE IN "ON THE ROAD '90"駒沢大学記念講堂)(c/w WALKING IN THE RAIN)
10th 1991年6月8日 二人の夏(浜田省吾ヴァージョン)(c/w二人の夏(愛奴ヴァージョン))
11th 1991年6月8日 HELLO ROCK&ROLL CITY(ライブバージョン)(c/w THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY(ライブバージョン)
12th 1991年6月8日 風を感じて(ライブバージョン)(c/wラスト・ダンス(ライブバージョン))
13th 1992年2月1日 悲しみは雪のように(シングルヴァージョン)(c/w愛という名のもとに(シングルヴァージョン))
14th 1992年12月12日 アヴェ・マリア(c/w永遠の恋人(シングルヴァージョン))
15th 1994年4月25日 星の指輪(c/wこんな気持のまま)
16th 1995年7月1日 我が心のマリア(c/w恋は魔法さ(シングルヴァージョン))
17th 1996年9月30日 さよならゲーム(c/wあれから二人)
18th 1997年10月22日 イメージの詩(c/w生まれたところを遠く離れて(シングルヴァージョン))
19th 1998年4月1日 モノクロームの虹(c/w 青空)
20th 1998年10月1日 LOVE HAS NO PRIDE(c/w GIVE ME ONE MORE CHANCE)
21st 1998年12月2日 詩人の鐘(c/w 日はまた昇る)
22nd 2000年4月1日 …to be "Kissin'you"(french edit)(c/w 真夏の路上/…to be "kissin' you")
23rd 2001年8月1日 君の名を呼ぶ(c/w演奏旅行)
24th 2003年9月10日 君に捧げるlove song(c/wモダンガール(21 ctr. Ver.))
25th 2005年4月13日 光と影の季節(c/w Midnight Blue Train 2005(リメイク2005バージョン))
26th 2005年7月17日 I am a father(c/w 君と歩いた道)
27th 2005年10月12日 THANK YOU(c/w あの娘は誰/さよならの前に(2005Ver.))
2005年3月24日1st~18thシングルまでをマキシシングルにリサイズして再発売
浜田省吾 アルバム
(愛奴時代) 1975年5月1日 愛奴 LP CT
1st 1976年4月21日 生まれたところを遠く離れて LP CT
2nd 1977年5月21日 LOVE TRAIN LP CT
3rd 1978年9月21日 Illumination LP CT
4th 1979年5月21日 MIND SCREEN LP CT
5th 1979年12月5日 君が人生の時… LP CT
Compilation 1980年8月1日 SLOW DOWN(現在は廃盤) CT MD
6th 1980年10月21日 Home Bound LP CT
7th 1981年9月21日 愛の世代の前に LP CT
8th 1982年2月25日 ON THE ROAD LP(2枚組) CT(2本組)
9th 1982年11月21日 PROMISED LAND 〜約束の地 LP CD CT
10th 1983年12月1日 Sand Castle LP CD CT
11th 1984年10月21日 DOWN BY THE MAINSTREET LP CD CT
CLUB SNOWBOUND(現在は廃盤) LP CT
12th 1986年9月4日 J.BOY LP(2枚組) CD(2枚組) CT(2枚組)
CLUB SURFBOUND(現在は廃盤) LP CT
13th 1987年6月28日 CLUB SURF&SNOWBOUND CD
14th 1988年3月16日 FATHER'S SON LP CD CT
15th 1989年9月1日 Wasted Tears LP CD CT
16th 1990年6月21日 誰がために鐘は鳴る CD CT
17th 1991年9月1日 EDGE OF THE KNIFE CD CT
18th 1993年9月6日 その永遠の一秒に 〜The moment of the moment〜 CD CT MD
19th 1996年2月29日 ROAD OUT "TRACKS" CD MD
20th 1996年11月11日 青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜 CD MD
21st 1997年1月22日 初夏の頃 〜IN EARLY SUMMER〜 LP CD MD
22nd 2000年11月8日 The History of Shogo Hamada "Since1975" CD
23rd 2001年8月22日 SAVE OUR SHIP CD
24th 2003年9月26日 初秋 CD
25th 2005年7月6日 My First Love LP CD
26th 2006年8月9日 The Best of Shogo Hamada vol.1 CD
27th 2006年8月9日 The Best of Shogo Hamada vol.2 CD
浜田省吾 映像作品
1989年5月21日 ON THE ROAD "FILMS" (VHS/LD)(後にDVDで再発売)
1996年2月29日 ROAD OUT "MOVIE" (VHS/LD)(後にDVDで再発売) 2002年7月31日 ON THE ROAD 2001 (DVD)
2002年8月21日 WE ARE STILL ON THE ROAD (DVD)
2005年8月31日 SHOGO HAMADA Visual Collection "FLASH&SHADOW" (DVD)
2008年4月2日 ON THE ROAD 2005-2007 "My First Love"(DVD)
浜田省吾 コンサート数
1976年 15回
1977年 50回
1978年 53回
1979年 70回
1980年 96回
1981年 88回
1982年 122回
1983年 119回
1984年 87回
1985年 76回
1986年 64回
1987年 38回
1988年 90回
1989年 10回
1990年 55回
1991年 54回
1993年 37回
1994年 58回
1995年 3回
1996年 16回
1997年 13回
1998年 52回
1999年 61回
2000年 48回
2001年 35回
2002年 2回
2005年 26回
2006年 28回
2007年 55回
合計 1521回
浜田省吾 ツアータイトル
1986年 「I'm a J.BOY」 1988年 「FATHER'S SON」 1991年 「ONE AND ONLY」 1993年 「OCEAN AVENUE 7493」 1994年 「THE MOMENT OF THE MOMENT」 1996年 「Tender is the night」 1998 - 2001年 「THE MONOCHROME RAINBOW」「THE SHOGO MUST GO ON」 2005年 「MY FIRST LOVE」 2006年 - 2007年 「MY FIRST LOVE IS ROCK'N'ROLL
│音楽